皆さん、こんばんは。
最近、私の身内で大切な人が亡くなりました。
23歳でした。
交通事故でした。
Aさんと置いて話を進めます。
1度だけ私のライブに足を運んでくれて、それ以来でした。
会ったことは1度しかなかったけど、ラジオなども聴いてくれていて、たくさん応援してくれていました。
一度しか会えなくてまた会えた日がお葬式。
もっともっと話したいことがいっぱいあるのに、いろんなこと教えてほしかったのに、もっと仲良くなりたかったのに。。
悔しいつらい思いでいっぱいでした。
私はお通夜とお葬式に出席しました。
そこにはたくさんの方がいました。
でも、みんなお酒を飲んでお寿司やお菓子を食べて笑っていました。
最初、何でこんな悲しいことがあったばかりなのに、なんで笑っているんだろう。って思いました。
ちょっとして、Aさんの親友だったという、『だいき』という方が私のところに来て
沢山食べて、飲んで、たくさんワイワイしてね!
と、言いました。
ほかの人にも言ってました。
でも、その言葉には意図があって、
『Aはもう、食べることも飲むことも、みんなとワイワイすることもできない。
もう、俺らしかできないんだよ。
Aの体はお葬式までしかないんだから、ずっと悲しい顔しないで、最後なんだからAのためにもお願いね。』
そう、私に教えてくれました。
だいきさんはずっと笑っててハイテンションだったのに、目だけは赤かった。
たぶん、すっごくたくさんの涙を流したんだと思う。
すごく、すごくつらかったんだと思う。
だって、まだ23歳なんだもん、もっともっとたくさんこれからいろんな経験していくつもりで、
当たり前のようにいつでも親友と会える、話せる、メールが出来る、電話が出来る、一緒に笑って、泣いて、ケンカもして、、
きっと、お誕生日には一緒にお祝いしたり、クリスマスにはプレゼントを渡して、お正月には一緒にカウントダウンしたり、、、
沢山の行事を一緒に過ごして、喜怒哀楽共有して、これから先何十年たっても、ずっと一緒に生きていくのが当たり前のように感じていたんだと思う。
私自身も、家族や親友、、大切な人とこんな風に過ごすんだろうな、って、それが当たり前だって思ってた。
明日も、明後日も、明々後日も、その次の日も、今まで通りに当たり前のように過ごせると思っていたのに、
『Aさんが交通事故にあってさっき亡くなった』
そう知らせをもらって、どんな思いだったんだろう。
いきなりすぎて、しばらく何も反応できなかったかもしれない。
ドッキリなんじゃないか、って笑ってこの言葉に返したかもしれない。
真っ白になって、ひたすら泣いたのかもしれない。
体が病院に勝手に向かっていたのかもしれない。
私にはわからない。
でも、ずっとずっと親友だった本当に自分の大切な人が、つい1時間前まで今まで通り笑っていた、生きていた人が、亡くなって
正常でいれる人なんていないと思う。
大切な人の存在って、自分の心の中でどんどん、どんどん、大きくなっていって、
いなくてはならない存在になって、いないなんてありえない存在になって、いるのが当たり前の存在になる。
だから、亡くなってしまったときのショックはとてつもなくでかいし、自分の中での大切な人の存在が大きかった分、心に大きな穴があく。
信じたくない現実を目の前にして、動かなくなった親友を前にして、
まだ寝る時間じゃないでしょ!ほら、起きてよ!って方を揺すったかもしれない。
これはきっと夢だって、明日になればまた会えるって、夢から覚めたら『今日こんな変な夢見たよー』って笑い話にしてまた一緒に笑おう。
そんなことを考えて、なかなか受け入れられなかったかもしれない。
だいきさんは、信じられないくらい泣いて泣いて泣いて、そして、お通夜で笑ったんです。
Aさんのために。
こんなにつらい状況でも最後の最後まで親友の事を1番に思っているだいきさんが親友でAさんもきっと天国で喜んでいるのではないかな、そう感じました。
お別れの言葉で、
『Aはまだ死んでいない。本当に死ぬのは、みんながAのことを忘れた時だ。
Aはみんなの心の中で生き続ける。』
そうAさんのお兄さんが言っていました。
その通りだと思います。
沢山の人が泣いて、私もたくさんたくさん泣きました。
でも、これからは、実際には会えないかもしれないけど、今までよりもっともっと近くで私たちを見守ってくれているのだと思います。
『俺にとってAは親友だった。。いいや、今だって親友だし、今までも、これから先何十年何百年先も親友だ。』
こんなに素敵な親友を持ったAさんは、幸せ者で、人気者だったんだな・・そう感じました。
大切な人を大切にする。
当たり前のようで、出来ていない部分があるかもしれない。
後悔しないように毎日を生きたい。
信じられないくらいつらい、怖い、『大切な人の死』というものを通して、
普段の日常ではなかなか気づけないものを学んだような気がします。